坐禅のススメ
おまけとして、心・技・体を磨く方法としての坐禅(瞑想、マインドフルネス)をご紹介します。この項はあくまでもわたし自身の体験と実感に基づいたものであることを予めご了解いただくとともに、坐禅にご興味のない方はスルーしていただければと思います。
わたしは2002年頃に初めて会社で部下を持つようになり、部下の人生に一定の責任を感じたときに、自信を持って部下を指導するだけの背骨を持っていないことを実感しました。仏教や禅には若いころから興味を持って本はよく読んでいましたが、どの本にも「禅は実践しなくては本当のところは分からない」と書いてありましたので、それではと本を頼りに自己流で坐り始めました。その後、禅寺の坐禅会などにスポットで参加しながら、自宅で坐禅を続けております。
昨年2021年の暮れにこの人はと思う老師(禅の師匠)と出会えたので、いよいよ本格的に修行したいと思っていますが、現在ははるかな禅の道の門の前に立っている程度のレベルです。それでも坐禅を続けてきたことで、ものすごく沢山のものを得たという実感があります。と言うより、坐禅がなければ社会人人生のどこかで心が折れてしまっていたのではないかとさえ思っています。
わたしの坐禅はごくシンプルで、足と手を組んで姿勢を正し、呼吸から意識を離さないようにする随息観というものです。最初は呼吸に集中しようとしてもいつの間にか考え事をしてしまい、2~3回呼吸を意識するのが精いっぱいで雑念まみれになって愕然とします。しかし徐々に呼吸を意識する時間が長くなってくると、今度は雑念が出てくる瞬間が分かるようになり、「なるほど、こうして自分の意識が雑念に引っ張られていくんだな」ということが分かってきます。そして雑念が出てくる瞬間に気づくと、雑念は自然に消えていくのです。それを続けていくと、日常で「自分の感情」だと思っていたものが、しょせん雑念に持っていかれただけであり、雑念が消えたあとの自分がいることに気付きます。自分が薄まっていくような感覚です。この程度のことは、坐禅修行の序の口のそのまた序の口を10回繰り返すようなレベルであり、本格的に修行をするともっともっと深い境地に達していくようです。しかし自分が薄まっていくという感覚は、それだけで多くのことをわたしに気付かせてくれました。
人格中心リーダー選抜シリーズの「資質」のところで述べましたが、松下幸之助さんや稲盛和夫さんなどの人格に秀でた名経営者が、口をそろえて「無私のこころ」の大切さを説いています。自分が薄まっていく感覚というのは、実はこの「無私のこころ」に少し近づいているのではないかと思えるのです。
仏教では、人間の苦しみの根源は三毒(貪欲・瞋恚・愚痴=むさぼり・いかり・おろかさ)であり、それは自分というものを立てることから生じると言われています。ちょっと難しいですが、自分が薄まるとこの三毒が薄まってきて感情が波立たなくなってくることを実感します。心・技・体の”心”の部分に効くのです。
感情が波立たなくなると頭のなかがクリアな状態になり、静かな水面に物がきれいに映るように物事がそのままの姿で見られるようになります。そうなると物事の本質を捉えやすくなるのです。自分が薄まると余計なことを考えなくなりますので頭の回転がスムーズになり、さらさらと自然に判断できるようになります。また自分の判断に自信が持てますので肚も据わってきます。
また坐禅をすることは、自分の意識と向き合い自分の心を観察することになります。これは他者とのコミュニケーションの際にとても役立ちます。この人は裏に何か隠し持っているな、この人は感情に流されはじめているな、雑念が湧いておかしな判断になってきたな、など相手の心の動きが見えやすくなるのです。相手の心が見えるとこちらはますます落ち着いて、有効な対応が取れるようになります。これらは心・技・体の”技”の部分に効いていることになります。
そして坐禅は心・技・体の”体”にも効きます。坐禅をすると自然に呼吸が深くなり、セロトニンという神経伝達物質が分泌されてリラックスを促し、副交感神経を優位にして自律神経バランスを整えると言われています。難しい説明をしなくても、坐禅をすればスカッと爽やかな気持ちになることが実感できると思います。自分磨きシリーズで触れましたが、寝る前に坐禅をすると入眠がとてもスムーズになり、重要だと言われている入眠後3~4時間の睡眠の質が高まるように思います。そして三毒が薄まることで怒りの感情が少なくなり、万病のもとであるストレスが軽減することは、もちろん身体によい影響があるでしょう。
最後に、坐禅って宗教でしょう!宗教の勧誘か?と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、わたしは禅宗に入信しているわけではありません。ここで紹介している坐禅は瞑想・マインドフルネスと置き換えても良いと思いますが、自分と向き合うトレーニングといった感覚でとらえていただければと思います。大切なのは自分の心、意識と静かに向き合うトレーニングをしていくと、いろいろな気付きがあり、自分磨きの心・技・体すべてに良いことづくめですよとおススメしている次第です。お寺の坐禅会など無料で体験できる機会はたくさんあり、初心者の方でも丁寧に教えてくれますので、機会があればぜひ体験してみてください。
”21Lessons” ユヴァル・ノア・ハラリ著(サピエンス全史、ホモ・デウス著者)より抜粋
- ティーンエイジャーや大学時代には、人生についての大きな疑問の数々に答えが全く見いだせなかった。
- 読んだ本や大学で得たナショナリズムの神話も、宗教神話も、資本主義の神話もすべて虚構だった。
- そんな時に出遭ったヴィパッサナー瞑想(*)によって、自分の心を詳しく観察すればするほど、瞬間瞬間で持続するものなど何もないことがはっきりした。
- 魂・自分というものが持続して、人生をひとつにまとめているというのは、ただの物語にすぎない。
- 自分は初めて講習を受けて以来、毎日二時間の瞑想を欠かさないようになった。
- 瞑想の実践がもたらす集中力と明晰さがなければ、「サピエンス全史」も「ホモ・デウス」も書けなかっただろう。
*ヴィパッサナー瞑想: 日本で主流の大乗仏教に対して、上座部仏教(インドからミャンマー、タイなど南方に広がった仏教)で用いられる瞑想。自分を観察することにより真理に気付く修行方法であり、坐禅とおなじ仏教系統のマインドフルネスの方法です。