物事を判断するときに、法律や明文化されたルールがあればそれに従う必要があります。しかし法律やルールに明文化されていないケースは、法律やルールがなぜ制定されたのかという目的やそのルールの原理原則に戻って考える必要があります。特に人事運営においては「フェアネスの原則」つまり公平性・公正性の原則は、ゆるがせにできない最重要な原則だと思っており、判断軸として常に意識してきました。
わたしは人事部長時代に、上司の役員から「原理主義」と言われ、もっと現場の意向を汲んで柔軟に対応すべきだと注意を受けたことがあります。また別の役員からは「原理主義では誰も幸せにならない」というコメントも聞きました。これらの発言に私自身は違和感を覚えており、実際のケースでは最後まで反発したことを思い出します。本稿では、なぜわたしが反発したのか、なぜ「フェアネスの原則」を大切にすべきなのかについて考察したいと思います。
「原理主義」という言葉は、キリスト教原理主義やイスラム原理主義など宗教関連で良く使われます。一般的には原理原則を厳格に守ろうとする立場のことを言います。原理原則はルールより抽象度を一段上げた概念を示すものです。
お断りしておきたいのですが、わたしはいわゆる明文化されたルールを盲目的に厳格運用すべきとは考えていません。ルールが原理原則に合っていない場合はルール自体を変えるべきですし、ルールに明文化されていないケースでは原理原則に則って柔軟に判断する必要があります。しかし人事運営においては「フェアネスの原則」は最優先させるべきとの考え方です。現場の声を聞くことはとても大事ですが、「フェアネスの原則」に反する場合は、むしろ現場に説明し納得してもらうべきだと考えています。
人事の仕事の中には、社員には開示できないブラックボックスの部分がどうしても存在します。それを良いことに、評価や処遇・昇格などの人事運営に「そうは言っても社長がこう言っているから、そうは言ってもあの役員が可愛がっているから・・・」という忖度が働きがちです。この「そうは言っても・・・」という言葉が出るときは、「フェアネスの原則」の危機だと言っても良い状況です。通常は社内外に開示しないような判断でも、たとえば訴訟などによって社内外に事実関係を明らかにしなければならなくなる場合があります。その時に堂々と公平性・公正性を主張できるよう判断しなくてはなりません。また、たとえ開示されないとしても、社員はその不公平性を敏感に感じ取るものです。それは人事運営に対する不信感につながり、社員エンゲージメントの低下を引き起こし、会社の業績に影響してしまいます。会社の体質が根本から弱くなってしまうのです。
またこのような企業体質の中では、「そうは言ってもこれくらいは良いだろう」と規律が徐々に崩れていき、気が付くと不正会計や不正検査、リコール隠しなどの企業不祥事が会社に徐々に広がってしまうことにもなります。前述の役員のコメント「原理主義では誰も幸せにならない」とはどういう意味かいまだにわかりませんが、原理原則を大切にしないと社員エンゲージメントが低下し、規律(ディシプリン)が崩壊することで不正が蔓延して会社が不幸になります。「そうは言っても・・・」はその場の人たちが楽になる一方で、将来に向けて大きなリスクを抱え込むことになるのです。